「なぜ?」を5回繰り返す?

なぜ「なぜを5回繰り返す」のか問いたい気分…

時々なのか、未だになのか、今更なのかですが、グループ担当のアセッサーから上がってくるフィードバックレポートをチェックしていると、この決め台詞にお目にかかります。受講者の方へのアドバイスとして。

当然のように当該箇所はバッサリ削除、何事もかなったかのように前後から文をつなげてレポート修正は完了、次回からそのグループ担当アセッサーとは●●に●●をしないと心に固く誓うも、人手不足の現状、穏やかに「あ、●●さん、レポートどうもありがとうございました。一部、気になるところがあったので、こちらで修正させていただきましたー。念のためご確認くださいねー」と何事もなかったかのように前後から心の傷をつなげて一件落着です…。

なぜ「なぜを1回繰り返す」はダメなのか?

さて、愚痴はここまでにさせていただいて本題に。なぜ「なぜを1回繰り返す」はダメなのかを考えていきます。

「おそらく1回だからダメ?」と考える方はいらっしゃらないと思いますが、日常であれば「1回では深いところまで辿り着けないから」でよろしいかと存じます。ただし、人材アセスメントや昇進昇格アセスメントの中の各演習、そこで「なぜなのでしょうか?」と1回でも繰り返してしまうと「あー」といった評価になりやすいです。

この「なぜなのでしょうか?」は何かを物語っており、内省的な思考ではなく、社交的というか反内省的というか誰かに対して投げかけたり、周囲に助けを求めたり、部下を静かに詰めてしまったりを指しています。

別の言い方では「自分は答えをもっていないくせに、別の・深い・確たる答えをもっていてそれを相手に理解させるべくといったイメージを与えようとする浅い行為」となります。

これが得意な方、他には逆質問も多い気がします。あとは大上段からの御説ごもっとものアプローチも。

方向は少々、異なりますが、特にグループ討議で力任せの受講者の方が外れた意見をゴリゴリしているところ、それをやんわりと諫めたいとき(けど正面からもめたくない・自分の答えは言いたくない、あるいはない)に、このようなキーワードでのアプローチが多用されます。

なぜ「なぜを1回繰り返す」はダメなのか?

「良い恰好はしたいけど」「なんか違うような気がするけど」、ちょっと野暮な動機から繰り出される「なぜなのでしょうか?」は、人材アセスメントや昇進昇格アセスメントの各演習でこのようにアセッサーに誤解を与えかねません。まして5回も繰り返してしまうと捻くれたアセッサーだけではなく、周囲の受講者の方からも「あー」の印象をもたれてしまいます。

インバスケット演習では致命的かも

なぜ「なぜを1回繰り返す」はダメなのか?

例えば面談演習の場面、このアプローチがあったとしても部下役のアセッサーが何某かの返しをするので、何らかの効果は目に見える形(耳に聞こえる形)となります。結果、そのアプローチの動機の部分のみをアセッサーが過度に注目するまでには至りません。違和感としてはタグりますけど。

例えばグループ討議の場合、このアプローチがあったとしても勢いで流れたり、他の受講者の方が無垢に大きく肯定的に反応したり、これも場面として何らかの効果が目に見える形(耳に聞こえる形)で残るので、同じくアプローチの動機の部分のみをアセッサーが過度に注目するまでには至りません。逆に勢いに流されたので説得力が低い証拠物件、無垢に大きく肯定的に反応した他の受講者の方に対するネガティブ評価の証拠物件となりますが…。

ではインバスケット演習の場合、これは既に明らかで、「なぜだと考えますか?」「なぜなのでしょうか?」のアプローチがあったとしても、周りからの返し、つまるところリアクションは全くありません。

すると捻くれたアセッサーも雛のアセッサーも「なぜを5回繰り返しましょう」とフィードバックレポートを書いてしまうアセッサーも、その動機の部分に目を向けてしまうことになります。

この場合、捻くれたアセッサーは「あーハイハイ、カモフラージュね」、雛のアセッサーは「何となくの問題意識はもってるようだけど原因まではつかめてないね」、なぜを5回繰り返しましょうとフィードバックレポートに書いてしまうアセッサーは「なぜが1回しか繰り返されていない。なぜは5回に決まっている。だから分析力は低い評価にと…」

三者三様の解釈ですが、原因分析の高評価を狙ったはずの「なぜなのでしょうか?」が逆効果になってしまう悲しいアセスメントの評価実態をご報告させていただきました。

処方箋としては?

ここまで書いてしまえば、受講者の皆さんとして処方箋は明らかですよね。

社交的というか反内省的というか誰かに対して投げかけたり、周囲に助けを求めたり、部下を静かに詰めてしまったりをしないようにでしょうか?

あー、遠からず近からずのようなになってます。

やはり、なぜは5回繰り返すべきでは?

あー、それにしといてください。

では最後に、なぜ「なぜを1回繰り返す」はダメなのか?

【1回】と【繰り返す】がしっくりこないからではないでしょうか?

この場合、「なぜを繰り返す」にするか「なぜと1回発信する」にしないと世間様から誤解を招くことになります。ただ、「何回も繰り返す」そのものが分かり辛い表現ですね。「3回繰り返す」は3回なのか6回なのか。自らの問いかけと相手の返しで1回、であれば1セットのような表現が分かり良いと思います。

今回、№1の解答でしたね! けど、あなたのような人はキライです…。